小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。
なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。
2012年12月31日月曜日
2012年12月23日日曜日
音楽簿1966年12月24日号
2012年12月16日日曜日
音楽簿1966年12月17日号
ビーチボーイズの勢いが止まらない。思えば1年前はバーズの「ターン!ターン!ターン!」のヒットの頃。この1年でポップス界は更に飛躍したと言わざるを得ない。既にお子様向けの商業だけではなく、一つの文化そのものではないかと。トロッグスは全米№1もパッとしなかった「ワイル・ドシング」に続く第2弾はここまで来て、ママパパの第3弾も強力だが、どこまで壁を崩せるか。
2012年12月9日日曜日
音楽簿1966年12月10日号
やはりビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」が来たーぁ。前作辺りから夏の浜イメージから抜け出た、ブライアン・ウィルソンのスタジオ・ワーク曲。いきなり瞬間ボイスのイントロ→ベースライン→コーラスの被り→サビのテンポ→中途のパイプオルガン独奏→フェイドアウトのリピート。いわゆるミニ・シンフォニーである。HITTABLE50位だった名曲「神のみぞ知る」よりキャッチーな試みが大ヒットにつながった。後世の評価は別だが。今週は大きな移動のない、いい意味では優良曲のせめぎ合いの週であった。
2012年12月2日日曜日
音楽簿1966年12月3日号
何と「思い出の渚」が日本人2曲目の№1に・・日本人の私が選んでいるのだから特記しなくてもいいが。日本の曲嫌いの私にしては、この頃は意外と多くのHOT50曲が登場している。それなりにこの頃の日本の若者は頑張っていたのである。「いとしのルネ」は涙の2位残留、当時の選者も悩んだことだろう。どっちにしようか・・えぃっ。モンキーズも3位止まりだが、ビートルズ臭さが影響か。次週はビーチ・ボーイズ危険だな。
2012年11月25日日曜日
音楽簿1966年11月26日号
とうとう「チェリッシュ」が陥落。でも早くも★マーク、ミリオンダーラーだ。入れ替わったのは、HITTABLE誌上初の、当時としては迫力の黒人ソウル。さあ「いとしのルネ」との切磋だ。5位に上がってきたのは、加山雄三名付け親のワイルドワンズ、颯爽としたデビュー曲だ。全米№1曲がHITTABLEでは不発だったトロッグスの2曲目とビーチ・ボーイズの強力全米制覇曲が急上昇。
2012年11月18日日曜日
音楽簿1966年11月19日号
「チェリッシュ」5週目のトップ。やはりパーフォームが、実際が優れているのだろう。もう音楽史上前後空絶曲となった。激下がり№1曲「この手のひら・・」は一瞬の評価しかなかった。2位急上昇は、HITTABLEでは珍しい黒人ソウル、といっても白人化したモータウン系R&B曲。1位を伺う。待てとばかりクラシック風「いとしのルネ」もしっとりとした佳曲。あのバーズが久しぶりベストテンへ。
2012年11月11日日曜日
音楽簿1966年11月12日号
2012年11月7日水曜日
音楽簿1966年11月5日号
ASSOCIATIONの「チェリッシュ」が首位奪還。音楽業界は鮮度第一だから一度落ち目になると再浮上は難しい。全米BILLBOARDでBEATLESの「恋を抱きしめよう」の例があるが、HITTABLEでは初めてではないか。★マークが7位「わが心のシンフォニー」と11位「9月に会いましょう」についてミリオンセラー扱いとなった。初登場31位の「恋しのルネ」はクラシック風、32位の「レイン・オン・ザルーフ」はフォーク調と、66年ならではの曲かと思う。
2012年10月28日日曜日
音楽簿1966年10月29日号
2012年10月21日日曜日
音楽簿1966年10月22日号
2012年10月14日日曜日
音楽簿1966年10月15日号
2012年10月7日日曜日
音楽簿1966年10月08日号
先週に引き続き文字描きがさらに丁寧になっているHITTTABLE。毎回赤印上昇曲が多くて気合がはいいている証拠。今週トップの「我が心のシンフォニー」はGARYLEWIS & PLAYBOYSの、今から見ると後期ヒットで全米では徐々に人気が下がってきた頃のもの。HITTABLEではそんなこと関係なく良い曲は上がってくる。ところで▼印は下降の意味ではなくて、★印ミリオンセラーの格下印。3位の「ターン・ダウン・デイ」はスゴイ勢いだが、11位の「チェリッシュ」12位の邦題「アニーとボンボン」も来たぁ~。ビーチ・ボーイズは神のみぞ知るの」のA面「素敵じゃないか」も、永遠の名曲だが当時は結局鳴かず飛ばずの評価だった。
2012年9月30日日曜日
音楽簿1966年10月01日号
8週目でトップに座ったHAPPENINGSは確か本邦未発売。B.T.PUPPY RECORDというマイナー会社のためこちらの販売会社とは未契約だったと思う。雑誌でも写真紹介なしだから、コーラスグループ風としかわからない。でも本当に「イカした」曲だったと今でも思う。ただただラジオにかじりつき、テープを何回も聞いていた。№1はHITTTABLEの誇りだ。BILLBOARDでは8月27日と9月3日に最高3位だった。25位初登場はFRANCE GALLの当時の人気を示した。単純で甘ったるいメロディは青少年には恥ずかしさを感じさせるほどだったが今はどの程度?この夏は和製ポップスと呼ばれる大群が押し寄せた。43位初登場はSAVAGEという日本グループ。2曲目はボーカルが現俳優寺尾聡、宇野重吉の息子、にかわって甘く切なく歌われている。
2012年9月23日日曜日
音楽簿1966年9月24日号
今週からHITTABLE誌の字体が変わった。というか、これだけ毎週英語を筆記していると上手になったなぁ、というところ。「イエロー・サブマリン」2週目のトップも▼マーク入りしてしまった。次週は2位、4位の争いだ。2位HAPPENINGSのデビュー?曲は確か日本未発売で、今でもまったくの評価なし曲。でも最高のアレンジですね。しかもメロディが・・史上に残る名曲。4位も最高。19位初登場は「レッド・ラバー・ボール」のCYRKLEの第2弾でイントロが強力ゆえの上位デビュー。そして45位に「チェリッシュ」登場。こちらは初聴きの耳にはとっつきにくいのか?前曲の「アロング・カムズ・メアリー」も伸びなかったし、ASSOCIATIONというグループ名もプロデュース不足で伝わってこない。地味なスタートだったわけである。
2012年9月16日日曜日
音楽簿1966年9月17日号
2012年9月8日土曜日
音楽簿1966年9月10日号
2012年9月2日日曜日
音楽簿1966年9月3日号
「サマー・イン・ザ・シティ」が4週目№1。あの、ひと月前の新曲ラッシュの先陣を切ったわけである。4週目の同窓9曲はベスト20位までに何と8曲が席巻。8位の「赤頭巾ちゃん」はちょっとエスニックでとっつきにくいが、なかなかの曲。数年後日本でそれらしき題名の小説が流行ったが、私の印象はこちらの方がずっと上だった。注目上昇曲はGary Lewis & the Playboysの「我が心のシンフォニー」。アレンジがいい感じ。後の研究でReon LusselやNick De Caroが関わっていたことを知る。Hollies「バス・ストップ」やBeachBoys「素敵じゃないか」のエバーグリーンが同時初登場。今週はまさに66年の夏の総決算という雰囲気が伝わってくるワクワク・チャートであった。なお、先週「レッド・ラバー・ボール」がミリオンセラー扱いになった。
2012年8月26日日曜日
音楽簿1966年8月27日号
例えば3週間前のトップ10と今週では過半の6曲が入れ替わっている。今からすると夢のような時代としか言いようがない。ラジオという機器がどんなに重要な役割をしていたかということも含めて。「カモン・レッツ・ゴー」は全米21位の中ヒットだったが、何と今週の№1に登りつめた。今聞いても単純なロックンロールの魅力は褪せていない。急上昇の3曲。「サマー・イン・ザ・シティ」は、66年を象徴する名曲名演奏。いきなりのイントロ、効果音を入れたり、歌なしフェイドアウトの演奏などポップス・アイデアの宝箱である。「イエロー・サブマリン」も効果音入りの佳曲だったが。「ブルー・アイズ」はShadowsの器楽曲で、この頃はVenturesの「二人の銀座」などと、エレキブームがしぶとく残っていた。フレンチやイタリアンに加えて和製ポップスの台頭など繚乱の時代であった。4Seasonsの「Opus17」というのは、あの「ラヴァース・コンチェルト」の編曲者の作曲ものだが、コード進行を一緒にしてメロディー、歌詞を変えたもの。1回でいいから両曲を同時演奏したところを聴いてみたい気がしている。
2012年8月19日日曜日
音楽簿1966年8月20日号
HITTABLE誌も創刊半年を経て益々充実してきた。毎週の赤い字で記す上昇曲が最近は20曲前後となって半端じゃない。完全無風な昨今から比べるとどれだけ胸躍るワクワクの毎週だっただろうか。でも高校2年生と言えば受験勉強の最中、水泳部の主将もやっていたんだから、たぶん大忙しの毎日だったんだろうね。特にチャート発表の前夜金曜日とか土曜日は・・。そういえば水泳と言うのも、毎日、1分何21秒8などという数字に酷暑の毎日一喜一憂していた、数字がすべての世界だった。チャート付けも結局は順位と言う数字。逆に言えば、数字と言うものが実体を伴って輝くものだと、当時から薄々気づいていたのかもしれない。「ハングリー」が首位奪取。前作「キックス」は2位だったが、両曲のプロデューサーは「ミスター・タンブリン・マン」と同じテリー・メルチャーだ。こういう作風は日本人には及ばない何かがある。作曲は誰かと言うと、何とバリー・マンとシンシア・ウィルというニューヨークの腕利きプロ作曲チームだった。HITTABLEでいえばミリオンセラー格№1ヒット「ソウル&インスピレーション」など。無数の良曲量産した、別けてもあのバリー・マンだった。「イエロー・サブマリン」とか「サマー・イン・ザ・シティ」も急伸してきた。「アロング・カムズ・マリー」は当時としてはこれで一杯かな。先週の反動か、今週は新曲少なし。「若者たち」は黒沢明の息子がいたんだっけ。
2012年8月12日日曜日
音楽簿1966年8月13日号
「レッド・ラバー・ボール」が▼印を引きづりながら4週連続トップ。「夢のカリフォルニア」以来の快挙である。二人のサイモン。作曲のP.Simonもさることながら、プロデュースのJ.Simonの勝利であろう。どの世界でも「実際」をどう伝えるかが成功のカギなのである。4位の「ハングリー」が次席についたが、何と7位にMcCoysの「カモン・レッツ・ゴー」が急成長してきた。このロックンロール・グループ、50年代曲をリメイクしてヒットさせてきた。「ハング・オン・スルーピー」などはまるでオリジナルのようだったが、今回も当時はそういう思い込みであった。全米では21位止まりの中ヒットだったが。初登場22位のビートルズ、24位のシャドウズ、29位の「赤頭巾ちゃん」、36位の「スイート・ピー」38位の「サマー・イン・ザ・シティ」39位のペトゥラ・クラーク、41位のH・ハーミッツ、44位のエルビス「ラブ・レター」47位の「シー・ユー・イン・セプテンバー」など続々、今週は9曲の強力ニューカマーに恵まれた。長い音楽史でも活気のある1週間だったに違いない。
2012年8月5日日曜日
音楽簿1966年8月6日号
2012年7月29日日曜日
音楽簿1966年7月30日号
強力ナンバー。3位までがフィックスされた今週。ミリオンセラーの意味合いの★印が「太陽はもう輝かない」と「アイ・アム・ア・ロック」に点灯した。これで計4曲目である。これって、毎週のベスト15位までのポイントを集計したまでのものだが、自分なりの客観評価が生まれてくる。実はこのHITTTABLEは別に毎週のアーティストHOT50もあるのだが、ここまでマニアック・チャートを作成していたとは、我ながら恐れ入る。学業生活と水泳部キャプテン業務は随分脅かされていたということ。2週目13位の「アイ・ソー・ハー・アゲイン」はM&Pの3曲目だが、ビートルズ風でもちょっと弱いかもしれない。同じく23位の「この胸のときめきを」のほうが強力か。44位の初登場「アロング・カムズ・メリー」は、今になっても色あせない歴史に残る名曲だろう。7月16日付け全米7位だったが、ここではどこまでの評価だろうか?来週以降注目。余談だが、7月16日付け全米8位の「リトル・ガール」はSYNDICATE OF SOUNDSのスマッシュ・ナンバーだが、珍しくHITTABLEは外れた模様。初耳は約40年後のCDでと白状するが、なぜ聴き逃したかはいまだに不明です。
2012年7月23日月曜日
音楽簿1966年7月23日号
順当に「レッド・ラバー・ボール」が№1に。この曲、全米では7月9日の2位止まりだった。その時の1位はBeatles「ペーパー・バック・ライター」で、HITTABLEでは最高17位、今週43位であった。HITTABLEちょっと評価が低くすぎたかなとも思う。ところで、今週は12位まで赤丸なしの無風状態。中身はHOTだが・・。その12位、LouChristieの「Rhapsody in the Rain 」は全米№1ヒット「恋のひらめき」に続く第2弾。題名はバッチリだが失念したためYOUTUBEのお世話になった。いわゆる2番煎じというもの。13位赤丸は「悲惨な戦争」という著名な完全モダンフォーク。エレキもドラムスもない骨董品のような感じとなってしまっている。21位の急上昇3週目はマンフレッド・マンの気になる曲。これもYOUTUBEを開くと、ギターかき鳴らしの印象邸な曲であった。後にたくさんのカバー曲が出ている。Gene Pitney, BruceSpringsteen, The Everly Brothers, Rod Stewart, Elvis Costello等々。いわば「通」の歌となった。5月に全英№1となったが全米では29位止まり。日本のヒット・チャートなど問題外だが、アメリカン・チャートも当てにならない。HITTABLEでは21位しかも赤丸だからいい線行っている。来週どこまで上げるかな?
2012年7月15日日曜日
音楽簿1966年7月16日号
5週目チャンピオン「孤独の世界」と3週目挑戦者「レッド・ラバー・ボール」の一騎打ちは、ひとまず防衛戦に終わった。名前の書かれたカードを指にとって睨んで、エイ!ヤッと決める、まさに神の指先である。次週も再戦があるだろう。タイトルの前にRとかFとか書かれているのはフォークかロックかの違いを示す。フォーク好きのHITTABLEとしては当時のこの2者の活躍はたまらない・・だったろう。「夜のストレンジャー」が4週目にしてベスト10入りである。当時既にジャズ歌手として著名なFrank Sinatraの7月2日全米№1ヒットである。新しくも堂々とした、今でいえばクラシックなスタンダード・ナンバーの出現する瞬間を体験したわけである。
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