例えば3週間前のトップ10と今週では過半の6曲が入れ替わっている。今からすると夢のような時代としか言いようがない。ラジオという機器がどんなに重要な役割をしていたかということも含めて。「カモン・レッツ・ゴー」は全米21位の中ヒットだったが、何と今週の№1に登りつめた。今聞いても単純なロックンロールの魅力は褪せていない。急上昇の3曲。「サマー・イン・ザ・シティ」は、66年を象徴する名曲名演奏。いきなりのイントロ、効果音を入れたり、歌なしフェイドアウトの演奏などポップス・アイデアの宝箱である。「イエロー・サブマリン」も効果音入りの佳曲だったが。「ブルー・アイズ」はShadowsの器楽曲で、この頃はVenturesの「二人の銀座」などと、エレキブームがしぶとく残っていた。フレンチやイタリアンに加えて和製ポップスの台頭など繚乱の時代であった。4Seasonsの「Opus17」というのは、あの「ラヴァース・コンチェルト」の編曲者の作曲ものだが、コード進行を一緒にしてメロディー、歌詞を変えたもの。1回でいいから両曲を同時演奏したところを聴いてみたい気がしている。
小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。
なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。
2012年8月26日日曜日
音楽簿1966年8月27日号
例えば3週間前のトップ10と今週では過半の6曲が入れ替わっている。今からすると夢のような時代としか言いようがない。ラジオという機器がどんなに重要な役割をしていたかということも含めて。「カモン・レッツ・ゴー」は全米21位の中ヒットだったが、何と今週の№1に登りつめた。今聞いても単純なロックンロールの魅力は褪せていない。急上昇の3曲。「サマー・イン・ザ・シティ」は、66年を象徴する名曲名演奏。いきなりのイントロ、効果音を入れたり、歌なしフェイドアウトの演奏などポップス・アイデアの宝箱である。「イエロー・サブマリン」も効果音入りの佳曲だったが。「ブルー・アイズ」はShadowsの器楽曲で、この頃はVenturesの「二人の銀座」などと、エレキブームがしぶとく残っていた。フレンチやイタリアンに加えて和製ポップスの台頭など繚乱の時代であった。4Seasonsの「Opus17」というのは、あの「ラヴァース・コンチェルト」の編曲者の作曲ものだが、コード進行を一緒にしてメロディー、歌詞を変えたもの。1回でいいから両曲を同時演奏したところを聴いてみたい気がしている。
2012年8月19日日曜日
音楽簿1966年8月20日号
HITTABLE誌も創刊半年を経て益々充実してきた。毎週の赤い字で記す上昇曲が最近は20曲前後となって半端じゃない。完全無風な昨今から比べるとどれだけ胸躍るワクワクの毎週だっただろうか。でも高校2年生と言えば受験勉強の最中、水泳部の主将もやっていたんだから、たぶん大忙しの毎日だったんだろうね。特にチャート発表の前夜金曜日とか土曜日は・・。そういえば水泳と言うのも、毎日、1分何21秒8などという数字に酷暑の毎日一喜一憂していた、数字がすべての世界だった。チャート付けも結局は順位と言う数字。逆に言えば、数字と言うものが実体を伴って輝くものだと、当時から薄々気づいていたのかもしれない。「ハングリー」が首位奪取。前作「キックス」は2位だったが、両曲のプロデューサーは「ミスター・タンブリン・マン」と同じテリー・メルチャーだ。こういう作風は日本人には及ばない何かがある。作曲は誰かと言うと、何とバリー・マンとシンシア・ウィルというニューヨークの腕利きプロ作曲チームだった。HITTABLEでいえばミリオンセラー格№1ヒット「ソウル&インスピレーション」など。無数の良曲量産した、別けてもあのバリー・マンだった。「イエロー・サブマリン」とか「サマー・イン・ザ・シティ」も急伸してきた。「アロング・カムズ・マリー」は当時としてはこれで一杯かな。先週の反動か、今週は新曲少なし。「若者たち」は黒沢明の息子がいたんだっけ。
2012年8月12日日曜日
音楽簿1966年8月13日号
「レッド・ラバー・ボール」が▼印を引きづりながら4週連続トップ。「夢のカリフォルニア」以来の快挙である。二人のサイモン。作曲のP.Simonもさることながら、プロデュースのJ.Simonの勝利であろう。どの世界でも「実際」をどう伝えるかが成功のカギなのである。4位の「ハングリー」が次席についたが、何と7位にMcCoysの「カモン・レッツ・ゴー」が急成長してきた。このロックンロール・グループ、50年代曲をリメイクしてヒットさせてきた。「ハング・オン・スルーピー」などはまるでオリジナルのようだったが、今回も当時はそういう思い込みであった。全米では21位止まりの中ヒットだったが。初登場22位のビートルズ、24位のシャドウズ、29位の「赤頭巾ちゃん」、36位の「スイート・ピー」38位の「サマー・イン・ザ・シティ」39位のペトゥラ・クラーク、41位のH・ハーミッツ、44位のエルビス「ラブ・レター」47位の「シー・ユー・イン・セプテンバー」など続々、今週は9曲の強力ニューカマーに恵まれた。長い音楽史でも活気のある1週間だったに違いない。
2012年8月5日日曜日
音楽簿1966年8月6日号
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