小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。

なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。

2012年8月19日日曜日

音楽簿1966年8月20日号






HITTABLE誌も創刊半年を経て益々充実してきた。毎週の赤い字で記す上昇曲が最近は20曲前後となって半端じゃない。完全無風な昨今から比べるとどれだけ胸躍るワクワクの毎週だっただろうか。でも高校2年生と言えば受験勉強の最中、水泳部の主将もやっていたんだから、たぶん大忙しの毎日だったんだろうね。特にチャート発表の前夜金曜日とか土曜日は・・。そういえば水泳と言うのも、毎日、1分何21秒8などという数字に酷暑の毎日一喜一憂していた、数字がすべての世界だった。チャート付けも結局は順位と言う数字。逆に言えば、数字と言うものが実体を伴って輝くものだと、当時から薄々気づいていたのかもしれない。「ハングリー」が首位奪取。前作「キックス」は2位だったが、両曲のプロデューサーは「ミスター・タンブリン・マン」と同じテリー・メルチャーだ。こういう作風は日本人には及ばない何かがある。作曲は誰かと言うと、何とバリー・マンとシンシア・ウィルというニューヨークの腕利きプロ作曲チームだった。HITTABLEでいえばミリオンセラー格№1ヒット「ソウル&インスピレーション」など。無数の良曲量産した、別けてもあのバリー・マンだった。「イエロー・サブマリン」とか「サマー・イン・ザ・シティ」も急伸してきた。「アロング・カムズ・マリー」は当時としてはこれで一杯かな。先週の反動か、今週は新曲少なし。「若者たち」は黒沢明の息子がいたんだっけ。