小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。

なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。

2012年3月26日月曜日

音楽簿1966年3月26日号




































やはり「夢カリ」が連続№1。そして「早く家に帰りたい」が4位急上昇となった。再三お伝えしてきたが、私には音楽の道が開けていないという思いに至った曲である。旋律、英語歌詞、ハーモニーどれをとっても私たちの文化として育ってきたものではないという、諦観が生まれたのであった。7位初登場はインスト曲であるが、「君といつまでも」の加山雄三、まぁ名曲か。邦楽ジャンルに対して洋楽であるベンチャーズがチャートインするという、当時の慣行に準じたものだろう。ローマ字で書くことも。いずれにしろ、全米チャートとは無縁の一曲なことは確か。威勢はいいが果たしてトップを取れる素材だったのだろうか? 24位の「ラバース・コンチェルト」は下位でアップダウンだが、全米65年11月頃3週連続№2の大ヒット。HITTTABLE創刊がもう少し早ければね。大学講義では毎年登場するバッハ・リメイクの超有名曲。「19回目の神経衰弱」は順調に赤丸アップだが、「一人ぼっちのあいつ」は伸び悩み。今でも変わらないかなぁ。ビートルズとて厳しく評価しなきゃ。34位初登場「ソウル・アンド・インスピレーション」まんまの邦題というのも当時からあったんだね。次の次№1候補登場だ。