小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。

なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。

2012年4月30日月曜日

音楽簿1966年4月30日号



やっとRIGHTEOUS BROTHERSがトップに。全米№1と重なったわけだ。ところで最近のHITTABLEのチャートの動きが鈍いような・・。66年は豊作で今も私の好みが変わっていないならもう少しワクワクしてもいいかなとも思う。当時とは評価が変わった曲があるらしい。今日は意外とチャートでふるわない曲見っけ・・としよう。3月26日全米№3だったBEATLESの「ひとりぼっちのあいつ」は34,24,18,24位で低迷。今週№1のYOUNG RASCALS 「グッド・ラヴィン」は上昇中ながら47,31,27位。「夢カリ」に続く「マンデー・マンデー」も今週全米3位ながら、こちらは37,33位と出だしが鈍い。イントロ勝負の曲だけに意外。LOVING SPOONFULも「素敵なあの娘」に続く「デイドリーム」は4月9日から2週連続2位だったのに、43,40,32,35位と絶望的。今週10位上昇中のHERMAN’S HERMITSの新曲も39,38位と振るわない。ざっとみるとどの曲にも共通点があるのだろう。そんな中3週目「スループ・ジョン B」の13位から5位躍進が嬉しいのだ。





2012年4月23日月曜日

音楽簿1966年4月23日号





ROLLING STNES首位を死守といったところか。BEATLESとは全く違った曲作りに今でも唸るしかない。20そこそこの若者に何故こんなことが出来たんだろう?「ウィーンのバラ」はサンレモ音楽祭入賞曲だがNEW CHRISTY MINSTRELSという大所帯のフォークグループが取り上げたことからランクインしたもの。このグループのLPを1枚買っているほどのファンだったのだが、今聞いてみると?珍しくそれほどでもない。たぶん邦題が付けられなかった「アイム・ソー・ロンサム、アイ・クッド・クライ」。孤曲と呼ぼう。急上昇曲はもともとカントリー・ウェスタン曲、米国製歌謡曲を66年風にリメイクしたB.J.THOMASという歌手は後のバカラック曲「雨に濡れても」の大ヒットを放つ。「スループ・ジョン・B」に連れだって上昇してきた孤曲「シュア・ゴナ・ミス・ハー」は今でもほのぼのとした性格の、いるとすれば親友のようないい歌だ。ティファナ風トランペットと一聴でわかるTOMMMY TEDESCOのギターフレーズが印象的な、これぞポップスといった佳曲だ。




2012年4月16日月曜日

音楽簿1966年4月16日号




46年後の予想を覆してROLLING STONESの「19回目の神経衰弱」がトップを奪取。ところで前作「As Tears Go By」の邦題は「涙あふれて」が正解で「涙枯れても」は私の間違い。HITTABLEでは4位とまりだったが、今回は首位奪回である。というのも、もし私のチャートがあと半年早ければ、あの名曲中の名曲「サティスファクション」や続く「一人ぼっちの世界」は確実に1位になっていただろうから。「早く家に帰りたい」は息切れ早く後退。後々に残る名曲でもインパクトが揃わないと1位は取れないということか。となると次週1位は「ソウル&・・・」と予想したい。何せ4月2日から今週まで3週連続全米№1だから。きっと。McCOYSの「ハングオンスルーピー」がトップ10に登場。こういう曲を3コード・ロックンロールといってギターでもあれば私でも誰でも簡単に歌えたものだ。65年10月の全米№1。34位初登場の「スループ・ジョンB」はトラディショナル・フォークソングのリメイクだとは知っていた。メロディの新鮮味はないがB・ウィルソン流のアレンジでどこまで上がるかが興味深々。あと急上昇PETER&GORDONの「ウーマン」は確かP・マッカートニー作、それと初登場トップSONNY&CHERからCHERの「バン・バン」は、どちらも哀愁のあるいい曲だけれども・・ちょっと歌謡曲っぽいから。




2012年4月7日土曜日

音楽簿1966年4月7日号













46年前のチャート付となるとさすがの本人も全く覚えがない。しかし再度今ランク付けしてごらんと言われたら、同じような流れになっているのでは。それほど音楽の好みが変わっていないと思う。とうとう「夢のカリフォルニア」が4週連続の第1位。こんなにブレークしたのはたぶんHITTABLEだけだろう。先週の1位マークの横に▼があったのでもたないだろうと思ったが。来週はオマージュ的にはきっと「早く家に帰りたい」になるだろう。いつまでも独占できないのは、世の常と同じなのだから。ただ今マイブームのフランス・ギャルがトップ10に。この頃はフランスやイタリアも強かった時代。というか、業界がその後英米志向になって、私も乗せられてしまったようだ。それにしてもビートルズの「一人ぼっちのあいつ」が冴えない。猫も杓子もの風潮に反発する天邪鬼はこの頃からあった。今週は目ぼしい初登場がなかった。66年にしては珍しいこと。次週に期待したい。













2012年4月2日月曜日

音楽簿1966年4月2日号



































「夢のカリフォルニア」が堂々3週連続1位。全米では3月12日の4位止まりだった。こちらのほうが正当な評価ではないかと自負。2位に「早く家に帰りたい」。同じ4月2日全米5位。地味な曲だけに1位が取れるのか?3位、4位も上昇中。どこまで行くでしょう?そして急上昇の7位「19回目の神経衰弱」は同日全米3週連続2位で足踏み。12位「ソウル・・」は同日全米3位赤丸急上昇中。いずれの動向も気を揉むところ。ところで14位の上昇曲はフランス・ギャルの「Nou Ne Sommes Pas Des Anges」。わかりやすい邦題「天使のためいき」に目も向けず、原語に固執。このフランス・ギャルは私にとってはお姉さんだが、「夢見るシャンソン人形」の大ヒットでデビューしたフランス国民的アイドル歌手。その後の経緯は全く感知外だった。しかし私にとっては、60年代のポップスのアーティストは同窓の友である。昨日から検索していると、80年代に復活、夫君であるフランスのジョンレノンと言われた作曲家の後押しで自国では大ブレークしたことも。その後、彼を失い愛娘も失い、97年に引退したそうである。昨今は年に1回はテレビに出ているおばさんらしい。この項、随想誌に続く。