小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。

なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。

2012年4月23日月曜日

音楽簿1966年4月23日号





ROLLING STNES首位を死守といったところか。BEATLESとは全く違った曲作りに今でも唸るしかない。20そこそこの若者に何故こんなことが出来たんだろう?「ウィーンのバラ」はサンレモ音楽祭入賞曲だがNEW CHRISTY MINSTRELSという大所帯のフォークグループが取り上げたことからランクインしたもの。このグループのLPを1枚買っているほどのファンだったのだが、今聞いてみると?珍しくそれほどでもない。たぶん邦題が付けられなかった「アイム・ソー・ロンサム、アイ・クッド・クライ」。孤曲と呼ぼう。急上昇曲はもともとカントリー・ウェスタン曲、米国製歌謡曲を66年風にリメイクしたB.J.THOMASという歌手は後のバカラック曲「雨に濡れても」の大ヒットを放つ。「スループ・ジョン・B」に連れだって上昇してきた孤曲「シュア・ゴナ・ミス・ハー」は今でもほのぼのとした性格の、いるとすれば親友のようないい歌だ。ティファナ風トランペットと一聴でわかるTOMMMY TEDESCOのギターフレーズが印象的な、これぞポップスといった佳曲だ。